エンジンチューナーがオイルを開発するまで その1 

これはあるオイルメーカーのお話しです。月に一度掲載します。

オイルメーカー=NUTECはどのようにして誕生したのか。NUTECは他のオイルと何が違うのか。それをご理解いただくために、まずはNUTECの生みの親、NUTEC Japan社長 鳩谷和春のことから始めます。

これは、ノンフィクションです。

エンジンチューナーがオイルを開発するまで その1 

1960年代。鳩谷は、第1期生として学んだ国立東京工業高等専門学校で卒業研究としてエンジン設計を選択した。
卒業後、就職したのはトヨタ自販トヨペットサービスセンター・特殊開発部。当時、トヨタはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の二社によって構成されていた。現在は、合弁してトヨタ自動車となっている。

学生時代からモータースポーツ、クルマとバイクが大好きであった氏にとっては、とても自然で最高の就職先だった。市販車エンジンのチューニングから始め、競技用のエンジンではトヨタ1600GTの<9R>のチューニングに携わったのが最初だった。年間に100基以上のペースでチューニングし、カム、ピストン、ポートの形状に至るまで独自のアイデアを盛り込み性能を向上させ、経験を積んだ。

1970年代にモータースポーツで世界的に名機となった2T-Gの競技用コードネーム100Eの開発に参加。

そのトヨタ自工とヤマハ発動機の共同開発グループに加わった鳩谷のアイデアがカムやピストン、その他の部品にも採用された。この頃にはエンジンのみならず、車両の開発にも携わることとなる。やがて鳩谷のもとに出向辞令が出た。

それは、トヨタが世界選手権ラリーシリーズに挑戦した初代セリカ1600GTの開発メンバーとしてトヨタ自工技術部へというものだった。

用意されていたのは<技術員>のポジション。汚れるのも厭わず、若きメカニックの時代と同じように自ら手を下すこともあったが、競技車両開発を統轄する<エンジニア>としてのキャリアがこの時スタートした。

その頃、機械的に性能向上させるだけでなく、それを補い、なおかつそれ自体の性能を最大限に引き出すことが出来るオイルの存在、性能が鳩谷には気になり始めていた。

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